長い歴史の中で培ってきた歴史と伝統
ABOUT
創業から現在に至るまでの沿革を辿り、時代の変遷と共に進化してきたサービスをご案内し、長い歴史とその中で培ってきた伝統と革新について紹介しています。90年にわたる歴史の中で常にお客様のニーズに応え、質の高いサービスを提供することに注力してきました。これからも変わらぬ信念と情熱を持って地域社会の信頼を築き上げ、お客様のカーライフを支え続けます。
創業昭和3年
一宮市で最も老舗の自動車屋
なんと創業90周年を迎えました。ひとえに地域の方々、ひいきにして頂いておりますお客様からのご支援の賜物です。社員を代表しまして、まずはわたくし代表取締役 松田樹直より感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。これからの地域の皆様のために、「かゆい所に手が届くサービス」を心掛けて参ります。どうぞよろしくお願いいたします。
皆様に松田自動車のことをもっと知ってほしい!!この想いで、当社の歴史から紐解いていくことに致します。どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
自動車整備事業を開始
その2年後の昭和5年。名古屋から腕の良い自動車整備士を、給料を倍出すからと引き抜いて来たのが、自動車整備工場を始めるきっかけとなり、「松田自動車工業所」が生まれました。昭和5年というと、国産自動車が発売される前です。豊田自動織機で小型エンジンの試作が始まったころ。一宮には自動車なんかほとんど走ってなかったはず。一部公用車(外車)が数台あった程度でしょう。当時曽祖父は直感で、自動車が急激に台数を増やしていくのを予想していたのでしょうか?当時の自動車は主にボディなど木製の部品が多かったようで、大工を雇って修理をさせていたとも聞いています。昭和10年に一宮市と松田自動車工業所が取り交わした修理契約の契約書が残っていますので、ご覧ください。
1926年式幌型ハドソン車、ハンドル廻り、ブレーキその他、、、、、。と書いてありますね。請負金額は1,000円。ググってみましたが、昭和10年の大卒初任給が90円とありました。とすると、1,000円は大卒初年度の年収以上ということになりますので、今の価値で言うと240万円くらいですか?!儲かりますね(笑) わたしも整備士をやっていたのでわかりますが、今の整備とは全然違って手間も掛かったはずですので、高いのは当然かも。
何気なしに事務所に鎮座している賞状と金庫にしまってある勲章です。先日飛び込みで初めてお見えになったお客様がびっくりしていました。「これ何ですか?」と聞かれたので、「ひいおじいちゃんが天皇陛下に勲章戴いたそうですよ。そのときの賞状です。」とわたしが平然とお答えしたのですが、「あなたが感じているより凄いことですよ」って(汗)。そんなエピソードがあります。うちのひいじいちゃん凄すぎるみたいです。ちなみに右側の勲章は私が子供のころに一度失くして家族が大慌てしたそうです。そして私のおもちゃ箱から発見されましたとさ。。。。
父(現会長)に聞いた話では、地元消防団への献身的な活動と、自動車整備振興会(恐らく愛知県自動車整備振興会)の立ち上げに尽力したのが認められたみたいですよ。 企業にとっては地元への地域貢献も大切な仕事です。更に精進いたします。